豊橋へ日帰りでした。
1/5は豊橋に日帰りでした。
今は京都へ帰る新幹線の車内です。こだまを選び、のんびりと帰っています。
お昼頃に豊橋に着き、「豊橋カレーうどん」を食べました。
とても美味しいです。
白醤油が豊橋ではよく利用されていることを知りました。なるほど。昔に食べたことのあるうどんのおつゆが他にはあまりないことを理解しました。
今回は母の家について相談を受けたことでの帰省でした。
12月に自宅トイレが破損。大家さんも家が古いことと耐震性も足らない事から、近い将来に更地にして処分したいという旨を伺いました。
今は家の裏にあるもう一棟のトイレを利用していますが、そのもう一棟へ移る事も難しい状況でした。多くの箇所を直さねばなりません。今回は現況把握と大家さんにご挨拶してお話しを伺う為の帰省でもありました。
一通り、大家さんともお話しをして、現況も確認して、母とも話して、なるべく早い内に引っ越ししようという運びになりました。こうなると、動ける今日に決められるところまで行きたい。母は既に候補マンションを挙げていました。
新しく考えている入居先のマンションは、母が清掃作業するマンションでした。ですから、話が早くまとまりそうです。せっかく豊橋へ帰省した機会を活かして、候補マンションの大家さんにもご挨拶してきました。いま住んでいる場所からも近いです。
仲介不動産にも行き、さっそく新しい入居先のマンションの入居申請をしてきました。順調なら来週には入居契約書が上がるはずです。引っ越し日時は2/23,24になりました。私はこの日に友人との旅行があったのですが、キャンセルしました。
母は猫を飼っています。もう10年も一緒に過ごしてきた猫です。悩み、考えた末に、猫を諦めると母は言いました。父が亡くなったときにも母は猫が支えでした。私も断腸の思いです。猫の行く末を母は「私でなんとかするから」と言いました。そこには悔しさ以上に寂しさが滲みます。
引っ越し段取りの予定までこぎ着けましたが、考えなくてはならないのは兄の存在です。母はこれまでも何かと手助けをしてきました。しかしそれは兄の為にならないものです。支援や手助けは、その本人の必要と理由を理解するべきだと私は考えます。兄本人がどういう暮らしをしたいのか。どう生きたいのか。そういう、シンプルな話が全くできていません。
兄はバセドー病ですし、これまでの経験からも堪え性のない生活を繰り返してきました。父母が兄の気持ちを先に汲み取り用意しては与える育てかたをしてきた為、兄は自身の意思を構成したり表明したりすることに時間がかかります。それは他者から見ればグズだし、無能だし、適応性が乏しく映ります。我々の社会とはスピードを重視するからか、のんびりと考える人間にはレッテルを容易く貼ります。
兄は自身の葛藤をいつからか見失いました。なので、私や母の話にも耳を貸しません。尋ねられたくないし、答えたくない。そんな状況です。しかし、そんな兄にも母は手助けをしてきました。兄が何を求めているのか分からない状況で、家賃を払ったり食事を与えたり、そういう支援をしてきました。
そんな支援は親なら、親族なら、当たり前のことだと思うかも知れません。私たち家族にはそれは非常に重いことだし、切りのないことです。経済的にゆとりがあるないに関わりません。なぜなら、先に書いた通り、兄本人の意思を引き出せない限り何も建設的ではないのです。
一般的に考えられる「家族」や「暮らし」は何の尺度にもなりません。個々に事情が異なるだけでなく、制度や伝統を理由に家族を押し付けられても解決はしません。兄の場合、私が上手く書き表すことも難しい複雑さを持っています。何と書いても当たらない。母は単純な言葉で理解しようとしますが、全て違います。短絡的な結末は口にはできても現実には叶いません。母は、母自身がそれを実現できないことも知っています。例えば、「見捨てる」などです。到底、できないでしょう。
兄は報われない人生です。思考し表明するまでに時間が掛かりすぎる。数時間単位ではないのです。数年単位で掛かります。それは例えば、生活の質についてだったりです。時間は残酷で過ぎていきます。
今回、何年か振りに小林くんに会いに行きました。もう亡くなって19年です。私が4回生の時に亡くなりました。ひさしぶりに線香をあげに行き、お父さんとお母さんとお話しもできました。過ぎてみれば時間など、あっという間というしか表現できないものです。私は「あっという間」という表現に含まれる諦めに似た感情が好きになれません。戻りたいわけではないのに、「あっという間」と言うとき何かやり残した気分がそこに置いてきぼりのようです。
私にとって豊橋は、青春です。そして過酷です。あの当時に戻りたくはありません。人生を再び繰り返したいとも思いません。もう今回の人生で大満足です。もう充分。辛いからとか、大変だったからとか、そんな単純なことではなくて、そういう欲が私にはありません。生きるのは一度で充分です。
暗い話ではないのです。この先も暮らしていくためには知恵が必要です。私はなるべく、自分ができることを尽くしたいと考えています。母にも、兄にも。もちろん、家族にも、お店にも。そんなことができることを幸せに思っています。
さて。
1月メニュー、決めましょうか。
今年も頭から忙しくなりました。