「いま」への反抗と問題提起のありかたについて

2021年5月7日お知らせ

私の親しくしている方とのやり取りの中で、「いま」をどう捉えているのかを考える材料がありましたのでお知らせしようと思います。

事の発端は、私の知人がインスタグラムに投稿した写真です。京都市内のある場所での飲食写真。初めにきちんと表明しておきますが、私個人は公園でひとり飲食することなど何の問題もないと考えています。お酒を少し飲みつつコロッケを食べることくらい、何でもない事です。

私の知人はまさに、そうしている写真を投稿しました。その知人は行政側でもあるので私は「投稿は大丈夫ですか?」と尋ねました。「問題提起です」と回答があったので私は以下のように返信しました。

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おはようございます。

〇〇さん。そうでしたか。問題提起だったんですね。〇〇さんらしいです。

ところで、私は店内に感染予防対策を施しています。営業時間も短くしています。お酒もいまは提供しません。

笑えるくらい、きちんとしています(笑)

この「笑えるくらいきちんとしている」という事が(実は)私なりの問題提起です。

「見てください!このバカバカしさを!」という表示です。

全ての感染予防対策をバカバカしいと言っているのではありません。言いたいことは、「この予防対策をし続ける背景にある医療体制の不整備とワクチン手配の失敗」です。これらをはっきりと指摘するためにも要請遵守が要だと私は考えています。

私は遵守するからこそ正当に、正面から、堂々と、曇りなく、抗議も意見も言えるものと考えています。

今回の抗議は政策への思想的な反発ではありません。政治の怠惰と無能さについての糾弾です。

それぞれの問題提起や抗議活動はあっていいと思います。要しかし今は、要請に応じない姿勢を示して抗議をしても社会通念上の理解は獲得できません。

これは倫理観に干渉してしまうからです。

皆が皆、そして多くの人が、理性的で丁寧に過ごしている現状では要請に応じることが「バカバカしいこと」と直接的に表象してしまう事は得策と思えません。「応じない姿勢」は、応じている人たちの支持も得られないし、要請をしている立場からも認められません。

つまりは、「ただ応じてない人たち」となってしまいます。

これが問題提起になるとすれば、それこそ私達の暮らしは一部の反抗心によって秩序つけられていると認める事になります。

私はそれを快く思いませんし、社会を良くすることに繋がるとも思わないのです。

いまの私が最も考えている事は、「レストランの在り方」です。それは街にあって、ワクワクする所です。その場所はなるべく理性的でなくてはならない。

社会インフラとして飲食店を考えてもいますから、それは倫理的でなくてはなりません。

なぜなら、レストランはワクワクする場所だからです。

つまりは、きちんとしている事がワクワクに繋がります。

要請内容が正しいなんて思いませんし、支持もしていません。でもだからといって、応じない事での抗議や問題提起は、実は犬死にだと思うのです。

私は自分の命の使い方をきちんとしたい。

生き残った私は命を無駄に使えないのです。

〇〇さんが、ご自身の職業を抱えた上で、その問題提起をする為に反抗心からInstagramに投稿するのは、私にはもったいない様にも映ります。

〇〇さんの使い方はもっと他にあるはずです。

もし万が一、こんな事で〇〇さんが責任を迫られでもしたら私は悲しくなるし、やり切れなくなります。

〇〇さんは〇〇さんにしかできないやり方があるはずなのです。

公園での飲食を投稿することは、他の人にも可能です。もったいない。実にもったいない。

私は〇〇さんが大好きなので、もったいないと思ってしまいます。

いまは踏ん張りどころです。

ですが、私は自分の手綱を緩める気は毛頭ありません。むしろ強く握りきちんといまの現象を明らかにしようと思います。

その上で適切に抗議をしようと考えています。

やってられない。

バカバカしい。

それでも私は決して自分を無駄に使いません。

ですから、〇〇さんも「〇〇さんにしかできないこと」を考えてください。

体調にお気をつけて。

お酒はやめなくていいですよ!むしろ、飲んでください。

公園で飲んでも構いませんが、注意されたり投稿したりは遠ざけてください。犬死にになります。それは本当にもったいない。

また語りましょう。

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緊急事態宣言は延長になります。月末まで。気持ちは萎えますが、萎えていれば何か良くなるかと言えばならないのです。

イルピアット紙屋川も暇ですよ。早く帰宅すれば「暇だったの?」とかの子さんから問いが立つ程に暇です。しかしそんな問いを立ててくれるかの子さんが私は大好きです。失礼とも思わない。失礼なのはかの子さんの問いではなく、その問いを生み出している現象でしょう。かの子さんにそんな問いが立つくらい、私が早く帰宅できることが奇異であったことはむしろ誇りです。

こんなに暇ですが、私は相変わらず仕入れをしています。むしろ、新しいものを仕入れてコストは増すばかりです。私はレストランへの要請が休業でない限りは営業したいです。少しだけ体力もあります。何とかやりくりして、一条通紙屋川の角が相変わらずである表示ができればと思います。

「イルピアットさんはやってるんだね。」

そんな風に通りすがる人たちから思われていれば、この場所には意味もあるし、ある種の抵抗となるかと思うのです。

私たちは私たち自身が「いま」の地点をどう捉えているのかを丁寧に考える必要があるし、その上で理性的に行動へ移せられれば何か良くなるのじゃないかという思いです。この行動によってコロナウィルスが死ぬわけでも解決する訳でもありません。私が伝えたいことは「いま」への反抗と問題提起の在り方です。皆さんも考えてみてください。