「さて先ずは、好きな人へのプレゼントを選ぶところから始めましょうか。うふふふ。」ミズタニ行進曲

2022年1月17日お知らせ

「なにが起きているのでしょうか」
 コロナ禍で世間は右往左往してきました。それは今もまだ続いています。「してきました」と過去形で表したのは、「もう慣れた」と思う人もいるかなと察するからです。新型コロナウィルス、covid-19。やれやれ。日本で感染者が確認されてから丸2年が経過しました。

 様々な制限がありました。目に見えるものも、気持ちに深く沈むものも、人との関わりに干渉するものも、「制限」のバラエティーを理解するに足る経験でした。そして傷跡として残った経済的な打撃。世界的に物流と消費が停滞し、生産が止まり、航空機の運航も激減しました。原油の生産も産油国ではその調整が課題となり、原油価格が高騰しました。

 原油の増産・減産のバランスは非常に難しく、感染が落ち着いた2021年夏頃(日本ではデルタ株感染がピーク)から需要が増加し、産油国間で減産へ転換。産油国では「2022年に需要が安定し、市場で原油がダブつくと価格が下落する」と予想して生産を抑制。結果的に2021年夏頃から原油価格は高騰。

しかし、2021年11月末に南アフリカで「オミクロン株」が確認されます。あっという間に、それまで主流だったデルタ株を駆逐して感染の主役に躍り出ます。全世界にオミクロン株(わたくしはこれが登場した際に「ラスボス」と表現しました)が行き届くまで2ヶ月足らずでした。圧倒的な感染力。重症化はしない報告がされるものの、各国の年末商戦は打撃を受けました。


「原油とか、どういう影響があるのかについて」

需要が戻り、供給網(サプライチェーン)を整え始めた世界は、冷水を浴びせられました。感染拡大の影響見極めが難しい中、各国での感染者数は過去最高数を叩き出しました。ロックダウンしたり、外出制限したり、行動制限したり。原油価格は各国間の取り組みで少しだけ調整されましたが、高止まり。日本もストックしておいた原油の一部を市場に出して価格を調整しました。

原油に依存しない暮らしはまだまだ先です。脱炭素化の取り組みが先進国を中心に盛んですが、電気を生み出すエネルギーは61%が石炭と天然ガスによります(2017年石油38.5%、天然ガス23%)。これらを運搬するには石油が必須です。原子力運搬船を作ればほぼ無限に運航可能ですが、作られていないところを見るとリスクが高いのだと思います。

EUは原子力発電を「クリーンエネルギー」として認める動きです。EU内のフランスが中心で、ドイツは反対しています(ドイツは脱原発を実現しましたが、フランスが原発で発電した電気を買っています)。脱炭素化を図り、発電を原子力に依存し、原油に対する依存度を下げる動きです。世界のエネルギー政策は脱炭素化を睨んでキャンペーンが展開されています。

原油価格が耕作や製造、輸送コストを高くして、物価が上昇しました。市場は感染対策による緩和がある度に需要が伸びます。その都度に生産調整を図り頑張るのですが、産油国は少し先の原油価格を睨んで産油調整をします。結果的に原油価格は高止まりし、生産機会にダメージを与えています。この物価上昇(インフレーション)は実質経済成長率が盤石になって起きていません。経済成長率は賃金も上がり、市場の消費バランスが右肩上がりに健全と判断される機会を待ちます。

「日本の賃金が30年間も変わっていない事実について」
市場の物価上昇が賃金に反映されずに、市場が停滞する現象を「スタグフレーション」と呼びます。不況下でもインフレが起きる現象です。日本はバブル崩壊後の1990年台からデフレーション(市場価格下落)が続いています。同時に、デフレ背景を許容する形で賃金は上がってきませんでした。他国ではきちんと賃金上昇が実現し、緩やかにインフレをしてきました。

日本は「失われた10年」と言われた2000年台から結局「失われた30年」と呼ばれるようにまでズルズルと来ています。日本は賃金の上昇が図れなかっただけでなく、新しい産業を起こすことに失敗しました。IT革命と呼ばれた2000年台初めはメーカーの力もありましたが、その技術はすっかりとコピーされ陳腐化し、市場は他国が奪いました。

賃金は上げられず、新興産業は生まれず、新しい概念を持つアイデアは厳しく規制され実現できませんでした。コロナ禍以前にインバウンドで沸いた市場も消滅しました。自国で経済を回せていなかった事が、コロナ禍により馬脚を露わしました。いつもいつも、この国で起きることは、本質的な問いが足りません。表面的で薄っぺらい、場当たり的な感情で判断されがちで、問題は見逃されます。

世界的なインフレにも実は出遅れている日本。アメリカのインフレ率は3.9%ですが、日本は0.5%でしかありません。隣の韓国は1.5%。0.5%程度のインフレでさえ、今の日本では大騒ぎです。ガソリンが高い、食料品の値上げ、などはニュースになりますが、元々が安すぎたのです。それを実感できないのは先に述べた通り、賃金が上がらず暮らし振りが固定化されてきたためです。


「本当の格差ってのは、想像も絶するものなんだぜ」

長く不況下にある日本でも、安倍政権下で株価が上がりました。その事で「日本は大丈夫だ」という人もいます。しかし、実際の暮らしぶりは向上していません。ちょっとしたお金持ちは生まれていますが、ジェフ・ベゾス氏やイーロン・マスク氏のような巨大資産家は生まれていません。世界的に見れば日本は沈み放しなのですが、この国にいると他国に興味を馳せないのでそれもよく知られていません。

「ベゾス氏やマスク氏のような人物は他国でも生まれていないじゃないか」という指摘もあります。もちろんです。こうした人物はポコポコ生まれません。わたくしが考えるのは、そうした人物が生まれることにも興味がない人の多さです。今日や明日、なんとか楽しければいいじゃないか。そんな気持ちで完結できるなら構いませんが。

他国の最低賃金が軒並みきちんと上げられてきた事実を、どれだけの日本人が理解できているでしょうか。同時に、働き方にしても、「サービス残業」や「社会保障の不充分さ」を「何となくそういうものだから」と受け入れるマインドが異常だという理解も広がっているでしょうか。

とんでもないお金持ちが生まれる事に無関心で、守られない働き方の異常さにも無関心で、賃金が上がらなくても物価も上がっていないから困らずやり過ごせてはいるし、ソシャゲの課金には躊躇せずに取り組み、65歳以上の高齢者が総人口に占める割合は2021年29%だという事は知らないし、非正規雇用の労働者人口割合は37%程いて、働き方は選べるという言説だけは真に受けて、2021年20代前半の平均年収は260万円なんだけどそこから上昇する人がどれだけいるかは分からなくて、そう言えばあいつ、LINE既読無視してムカつくし、インスタのフォロワー数もいいねも増えなくてイライラするし、YouTuberは調子良くやってて羨ましく写り「自分もYouTubeしてみよう」と軽く考えてみたり、「無敵事件」が起きる度に倫理を問われ、「ああ、何かいい事ないかな」と夢想する日々を「憧れ」と名付けられるような社会がどこかにありそうです。


「経済の仕組みについて」

現代貨幣理論(MMT)を持ち出して「国債は借金ではない」と与党議員が声高に言い出す日本。MMTが成立する背景は、自国通貨の信用が保障される前提です。加えて、この理論をもとにジャブジャブ貨幣を刷って市場に投入すれば、一時的には市場が持ち直すように見えます。しかしそれは結果的に、前提である国際信用喪失と、「よく分からないけど景気良くなったんじゃね?」という杜子春的な気持ちを招くだけで問題の解決には至りません。

構造的な問題を改善できない以上、痛み止めを打っても効き目が切れる時は必ず来ます。国内産業が弱くなり、脱炭素化の流れに日本の考え方を取り入れる政治にも敗北し、高齢社会で社会保障費は増大する一方で、賃金は30年間変化なし。所得格差が拡大したと言われつつ、実は、日本にある格差は他国と比べてもまだ緩やかで、問題の本質は、他国の経済成長と比較して日本全体が沈みつつあることだと言っても理解されない無関心。


「スキャンダルを叩いても、何も出て来やしないじゃないか」

国会議員の仕事は立法ですが、政策論争よりもスキャンダルによる人格攻撃を許す社会ムードが、政治への関心をより遠ざける構造になっています。芸能人に対しても、職場でも、友人関係でも、スキャンダルの在り方がその人となりである風潮は、「正しさ」ばかりを強調させて人々を疲弊させています。「仕事ができること」以上に、「正しいこと」を前提にするから面倒なことが増えて行きます。

わたくしは思います。「せめて社会の構造を何となく理解しましょう」、と。「この国の制度の役割と効果を何となく抑えて(理解して)おきましょう」、と。「正しさ」とは倫理的な判断以上に、構造を論理的に理解する知性と科学の一片だと思います。論理的な理解が広く難しい社会では、物事の判断基準は感情と倫理に傾きます。

「日本の住宅事情と経過について」
住宅事情を一つ取っても、余剰住宅が増え続ける一方で人口減少に歯止めはかかっていません。新しくてキレイな住居の快適さを疑う余地はありませんが、「持ち家」が将来的にどういう市場に残ってゆくのかは想像しても良いことだと思います。この国で最も住居が作られたのは1973年191万戸となっています。2008年のリーマンショックで2009年に約79万戸に減少するまでは毎年100万戸以上が新築されてきました。

2000年代も毎年90万戸平均ほどで新築住居は生まれています。建て替え率が半分と計算しても、毎年45万戸が増加する計算です。この総戸数はマンション、貸家、プレハブなどを含める「住居数」です。一戸建ての数字ではありません。ちなみに、空き家率が最も高い県は山梨県21.3%、最も低い県は埼玉県と沖縄県10.2%です(2021年統計)。

人口動態は2021年に65歳以上の人口が29%です。2020年の出生率は1.34%で84万人が誕生しました。1972年~74年の第二次ベビーブームでは年間200万人が誕生していました。1973年に191万戸の新築の背景がここに見えます。2020年は81万戸が新築されました。2021年の空き家率平均は13.6%です。 そして平均年収は30年前とほぼ同じです。

「さぁ、耳が痛いぜ。所得についての現実だぜ。」
暮らしの組み立て方と年収だけが変わっていません。年収から色々と引かれて残る可処分所得は年収250万円で200万円(80.2%)、年収400万円で316万円(78.9%)ほどです。年収が上がる程可処分所得比率は低くなります(年収1000万円は72.2%)。年収300万円で239万円(79.7%)の可処分所得ですから、これを12か月で割ると約20万円がひと月に使える自由な金額です。

そして、所得には男性と女性で格差があります。30代の家族の世帯所得平均値は614万円です。男性の所得は30代後半(329万円)~50代前半(679万円)にかけて150万円しか上がりません。女性の平均所得の最高年代は20代後半(328万円)です。結婚し家族を構成することで世帯所得600万円~800万円を目指せる計算になります。

求人を覗いてみると、月給30万円前後を謳う仕事ばかりです。男女の所得格差が少なく、月給30万円を考えられれば平均世帯所得は700万円程。可処分所得は560万円程になります。ですが現実には、男性が40歳代で転職し月給30万円ほどの場合、年収は20代後半(403万円)と同じ程度です。

この事からも、社会経験値や40代になるまでの社会コストを考えると、早い段階で社会の仕組みを把握してプランを立てる事が重要かと思います。20代は「したいこと・やりたいこと」も多くあるのですが、よいパートナーを獲得できれば世帯所得を倍増して未来を作るシフトを敷くことが可能です。この事は、その関係が良好であればある程、「したいこと・やりたいこと」をより長く追及・継続できることも示唆しています。


「普通を求めた30年間 ~ ミズタニ少年からミズタニおじさんへ ~」

わたくしはもう直ぐ48歳を迎えます。「普通の暮らしがしたい」と追い求めて暮らしてきました。自営業者になるとは夢にも思っていませんでした。時代と社会が変遷し、コロナ禍がやってきました。この30年間が暮らしの主戦場でした。高校新卒での初任給は11万5000円、可処分所得(手取り額)は92000円程でした。

35000円のアパートに暮らし、車を所有し(もちろんローン)、生命保険にも(うっかりと)入る家計でした。月々の食費を15000円に抑えて暮らし、友人とたまにするビリヤードと将棋が趣味でした。それでも貯金を捻出し、楽しく暮らしていたことを覚えています。1992年のことです。まさに、ちょうど30年前ですね。

わたくしは自立したかった。普通に憧れました。手取りが9万円もある事に喜びと興奮を覚えました。その18歳のミズタニ少年から48歳のミズタニおじさんに至るまで、紆余曲折ありました。社会の仕組みも知りませんでしたが、コツコツと続けた学習のおかげで少しは説明もできるようになりました。当時の暮らしに戻るのは嫌ですが、社会で暮らして行ける自信は何となく身に付きました。 


「さて先ずは、好きな人へのプレゼントを選ぶところから始めましょうか。うふふふ。」

 30年間をこの社会で生き抜けたことは面白かったです。大きな震災や、夢のようなテクノロジーの発展が起こる度にわたくしの暮らしは激変してきました。大学へ進学できたことが人生における最大の財産と価値でした。論理的思考を身に付ける土台を獲得できたことは、「普通」に憧れる気持ちを慰めもしました。

 2020年に強く影響が現れた新型コロナウィルス・COVID-19。世界的な影響を経験し、その渦中で日本という国の経済がどうなっているのかに興味を持ちました。振り返ってみれば、30年間の平均所得変化が見られない事なども分かりました。複雑な経済理論を持ち出しては解釈を変えて落ち着こうとする政府の姿も確認できました。

 私たちは未だにコロナ禍の渦中にあります。これからの暮らしを設計するにあたり、どれだけの所得があれば快適さを獲得できるのか。年齢を重ねて変化する暮らし振りをどこまで想像できるのか。加えて、社会が持つ変化をどのように活用してゆけるのか。住宅を新築し、右肩上がりの所得を目指すことなど、もう普通ではなくなるのです。

 社会の仕組みを理解して、自分の快適さの獲得方法を模索し、実現できる論理性に挑み暮らしてゆくことが求められています。高額所得でなくともいいのです。重要なのは、変化を嗅ぎ取り、自分に落とし込み、どう実行できるのかというセンスです。感覚だけでは難しい社会になりました。理論だけでもその通りになりません。どちらも必要なのだと思います。

 論理的に解釈し、気持ちで繋がる。快適さを獲得する最短距離と最適化を考えつつ、大切な人のケアは理屈抜きに対応する。楽しいことを、楽しく。嬉しいことを「嬉しい」と言えるように。経済の仕組みはコロナ禍でも変化しながら私たちの暮らしを支えています。さて先ずは、好きな人へのプレゼントを選ぶところから始めましょうか。うふふふ。