おはる、お疲れさまでした。

2022年2月14日ブログなど

おはるへ

 2022年2月12日の土曜日。キミはイルピアット紙屋川を引退しました。最近、よく使われる「卒業」と表現せずに「引退」と使ってきたことには訳があります。その背景を話しつつ、キミがどれだけ紙屋川に取って重要で不可欠な存在であったかを伝えたいと思います。

 何かをやり終えた節目を表す言葉として「卒業」と使われることが多くなりました。意味は分かりますし、言いたい気持ちも分かります。ただ、わたくしはこの卒業の多様使用については違和感を覚えています。卒業はまさに、「定められた期間、もしくは、成績を収めた証明」と考えています。なかには自ら「もう卒業」と宣言して「諦める」「退く」気持ちを表す場合もあります。

 おはるが紙屋川を「卒業する」と言うからには、キミは何かしら諦めるか、成果を果たすか、退くかという「およそ自分の意思ではない判断」との意味を持つものと考えました。過去に紙屋川のアルバイトを「卒業」していった彼らの殆どが「大学の卒業」を理由に退職をしています。アルバイトの理由からして彼ら彼女たちは「学生」の期間と決めていましたからそれは自然な成り行きと思います。

 しかし、キミは違う。キミは社会人にも関わらず精力的にアルバイトに従事してくれました。3年間という期間を思い切り果たしたのです。学生ではない立場の人間がここまで果たすことができるものかと、わたくしは驚嘆しています。キミは社会人として紙屋川に所属し、それを辞めるのですから「引退」です。所属や属性の変化にこそ「引退」は相応しい。

 おはるが紙屋川にとってどれほど重要で価値があったかは、2月12日を見ればよく分かります。多くのお客様がキミに会いに来てくれました。こんなコロナ禍にも関わらず。営業時間が短縮されているにも関わらず。どの人をとって見ても、キミの門出をお祝いしにきてくれました。キミは結婚することをきっかけに紙屋川を退職しました。

 社会人の何年目かのキミは、どこかしらやり切れない思いを抱えていたように思います。やり切れない気持ちと、振る舞いに見る明るさのギャップを今でもよく覚えています。まるで野犬のようでした。わたくしはキミに社会の仕組みを丁寧に話すよう努めました。キミのいる社会には希望と可能性があることを知って欲しかった。アルバイトの作業を通して、そういう経験を積んで欲しかった。わたくしの元で働けば、キミはきちんと理解できると考えました。

 この3年間は、まさしく、「手塩にかけて」おはるを育てました。わたくしの身に付けた拙い社会学を実践した時間でもありました。キミはもう野犬などではありません。誰にも引けを取らない。キミが実践してきた時間は、この先の未来を作ってくれます。その事は社会にとっても、この先におはると出逢う人々にとっても、大切な意味を持ちます。とても素敵な人になりました。

 おはるが紙屋川で働いてくれたことを誇りに思っています。見事です。これ以上の成果がありますか。よく頑張りました。よく耐えてくれました。よくぞ未来を掴みました。何よりです。心から嬉しい。わたくしはひとりで営業していた頃とは比べものにならない喜びの経験をしています。わたくしの人生にこんな充実を与えてくれたことを感謝しています。

 紙屋川の二階で始めたサロン「march」も亀岡で運営が始まりますね。キミが独立開業できる助走に関われて良かったです。この先の成功を祈っています。おはるの人柄と熱心さに利用する方たちは安心するのだと思います。利己的になりすぎず、何のためにサロンを始めたのかを忘れずに進んでください。もし、見えなくなったらわたくしに話してください。厳しく律して、引き戻して見せましょう。覚悟しておいてください。

 キミは紙屋川を引退しました。この3年間、本当にありがとう。引退後は亀岡に引っ越して暮らしが始まりますが、紙屋川のOGとしての威光は約束されています。日本には悪い慣習があって、引退後の老害がうるさくすると言うものがあります。キミはその体現をこれからしてゆくことになります。これからは紙屋川のOGとして関わってください。この事は、先に引退した彼ら彼女たちも同じです。

 前途洋々。おはるの人生に関われてよかったです。社会学は面白いでしょ?すべての現象には意味があります。この事を忘れないでください。イルピアット紙屋川で働いてくれてありがとう。おはるのようなアルバイトがいてくれて、とても心強かったです。この先にある紙屋川の変化にも期待してください。キミを失望させたりはしません。おはるが胸を張って誇れるようなお店でいるためにも、わたくしは頑張りたいと思います。

3年間、お疲れさまでした。ありがとう。  
  心を込めて。

イルピアット紙屋川  水谷トニーより