「かの子よ、かの子。東北へ連れて行きたかったのだ。」
「かの子よ、かの子。東北へ連れて行きたかったのだ。」
2022年8月2日火曜日。時刻は7:58です。いま頃は、出かける荷物の最終チェックをくどいようにして、いよいよ始まる東北旅行へのワクワクで胸一杯の朝を迎えていることでしょう。コロナに感染していないもう一つの世界では。
本当なら、9:09二条駅発の電車で京都駅へ向かい、そこからサンダーバードなどを乗り継ぎ、14時頃に長岡に着く予定でした。3年振りに開催される長岡花火大会を皮切りに、山形市、秋田市、青森市、宮古市、仙台市をめぐる東北の旅。秋田の竿灯まつり、青森のねぶた祭り、仙台の七夕祭りを尋ねる計画でした。宮古市では浄土ヶ浜で海水浴と夜の観望会が予定されていました。
娘のかの子は8月4日に11歳の誕生日を迎えます。秋田の竿灯祭りが彼女の誕生日に花を添え、わたくしが浴衣を着付けて、ふたりで市内を巡る予定でした。たわわに実った稲穂に見立てた竿灯の灯りを彼女には見せたかった。迫力のある青森ねぶたの勇猛さを経験して欲しかった。東北にはこんなにも魅力が多い事を伝え、素晴らしい地域なのだと知ってもらいたかった。
津波で流された三陸線を走りながら、君が生まれた年にあった大震災について意見交換がしたかった。大きな防潮堤からわずかに見えるだけになったであろう海を探しながら、この土地には偉大な海があった事、そしてその海によって起きた大津波の被害について文明都市が消失した事実について、現場で語り合いたかった。君はもう、わたくしときちんと対話ができるまでに成長し、わたくしはそれを熱望していた。
不甲斐ない。本当に、不甲斐ない。そして、申し訳ない。心から、申し訳ない。あれ程の期待をさせておきながら、わたくしがコロナに感染してしまうとは。しかも、こんな直前に。熱が出たのは7月28日木曜日の23時頃。恐らくはもう少し前。すっかりと作業を終えて片付けも終盤に差し掛かり、気を抜いたあたり。水曜日の朝に感じた身体の重さを「軽い熱中症」と自己判断して軽視したことも良くなかった。
発熱していない事を「感染してない」というお札のように信仰したことも認めよう。どうしても夏休みに君を東北へ連れて行きたかった。自分の軽い体調不良など、たくさん食べて、きちんと休憩を取れば回復すると信じていた。喉に違和感を覚えた水曜日の午後も、「疲れが出るといつも顔を出す咽頭炎の走りだろう」と取り合わなかった。否。気にしていたが、これは収まると思い込みたかった。
木曜日、体調は水曜日ほど悪くない印象だったのに、一日を一生懸命に働いた末は発熱でした。38.3℃。これはもう、誤魔化しようがありません。自分に言い聞かせる強がりに似た信仰は打ち砕かれました。喉の痛みはひどくなり、30日朝に陽性との結果を聞かされました。療養期間は8月8日月曜日。それは、東北旅行の最終日と重なりました(※保健所から隔離期間は8月5日までと連絡がありました)。
病床のわたくしは娘から手紙をもらいました。「感染は仕方ない」と綴ってありました。「しかし海には行きたい」と希望もありました。「花火大会は残念だけど、また計画を」ともありました。労いの言葉がほとんどで、「まだこれからも、できるでしょ」という明るさが救いでした。毎年こんな長期休暇を取れる自信はないのですが、可能なら家族3人で行ける機会を作ろうと思います。