イルピアット円町を休業いたします。
「イルピアット円町は2024年4月20日㈯より休業をいたします」
昨日、13時の開店からひとりの男がずっと居座り、ひとりでずっと喋り続ける事件がありました。身勝手で、周囲を顧みず、自己中心的で、他者への敬意や配慮の欠片もなく、行為行動も不審のある様子の人物でした。13時から18時まで「まる」が担当しましたが、18時からの「しんざえもん」が様子のおかしさを察知し男の追加分を断ると激昂。しんざえもんに絡みました。
この13時から18時の間、まるの友人や立ち寄ったお客さまはあったのですが、その男は関することなく自分勝手に振舞いました。絡む男にしんざえもんは毅然と対応しましたが埒が明かず、退店を促しても帰らず、警察を呼びました。警察が到着し、店側の退店を促す意思を確認して、その男に店から出るように促すも従いません。しばらくの押し問答の末に、その男はしぶしぶ退店しましたが「明日も来る」と捨て台詞を吐きました。
私は紙屋川の営業中に事の次第をまちこさんから電話で受けました。「警察を呼んでも構いませんか」との問いに即答で「構いません」と告げ、その後も情報を受け取りつつ事態の把握に努めました。タイミングよく紙屋川は金曜日なのにとても暇な営業でしたから、18時までのシフトだったまるを紙屋川へ招き事情を聴きました。紙屋川を20時に閉店し、そこからイルピアット円町スタッフが集まり緊急のミーティングを行いました。
「かわいい子がいたから来た」としんざえもんに告げたという男。「明日も来る」という捨て台詞を警察官の前でも吐く男。警察からは「再来店したら直ぐに110番してください」と告げられていること。これらを中心に、今後のイルピアット円町について深夜までミーティングをしました。ワンオペ(ひとりで店を任されて営業する事。ワンオペレーションの略)である以上、こうした危険についてどう対応すべきか。絞り出した結論が「休業する」ということでした。
ここからは私の意見を記します。例えば仮に、その男がある種の病気を持ち、社会適応できない者だったとして、病気に関しては仕方がないものだと考えています。しかしだからと言って、飲食店がその病気にまで配慮できる内容とできない内容がある事はご理解を頂きたいのです。病気の有無が重要ではないのです。その結果に引き起こされる出来事を収束できない事が重要なのです。病気に善悪はありません。ですが、引き起こされる出来事には問題があるかも知れません。
「俺は客だぞ」という態度がある種の病気と関連して増幅し、自身の権利や立場を主張する機会が「客である」という位置づけによって強化される場合、その人物は無敵です。病気が重要ではありません。強化された思い込みと執着は、結果的に問題を引き起こしてしまいます。「病気だから仕方ない」と、私は思いません。飲食店は医療機関でもなければ、福祉サービスでもないのです。病気に対する気の毒な思いと、強化された執着については関連しているけれど私には関係のない事です。
分かりやすく平易に言いますが、その男がどういう人物でどんな背景だろうと私は知った事じゃない。病気かも知れないし、そうでないかも知れない。病気だろうが何だろうが知ったこっちゃない。私の大切なスタッフと店に危害を加える可能性のあるものを私は許さない。病気だったとしても許さない。それは理由にならない。繰り返しになりますが、私は慈善事業者じゃない。
この数か月、どれだけの時間を費やしてこの春の営業を迎えたか知れません。やっと円町スタッフのモチベーション構築も整い、オペレーションも確立し、自走できる段取りまで来たと言うのに。こんなバカなことはない。他愛のない、一時の情緒不安に巻き込まれて、影響を絶大に被る飲食店やサービス業がどれだけ悔しい想いを抱えて街に存在している事か。それを「お客さまだ」という自己満足と高慢な気分で、サービス業を見下しながらくだらない評価をいけしゃあしゃあと書き込むバカもいる。自分に都合のいい店に変えたがる人間もいるが、勘違いしないで欲しい。店が提供する楽しさを共有したいのであれば、店の提供するサービスを理解していただくしか方法はない。
サービス業は福祉サービスを請け負っているのではありません。医療サービスでもありません。それらの充実は飲食店に求めず、行政や政府にお求めください。イルピアット円町はしばらく休業します。不審者の来店を防ぐ手立ては開かれたお店にはありませんが、何か知恵を絞ろうと思います。一番いい季節に休業とならざるを得ない悔しさを忘れません。円町は素晴らしい内容のお店です。またきちんと営業できるように整えます。しばらくの間、お待ちください。
ご迷惑とご心配をおかけいたしますが、何卒、ご了承くださるようお願いいたします。
2024年4月20日㈯ イルピアット円町