6月21日から7月11日までの期間も自粛営業が続きます。

2021年6月21日お知らせ

 2021年6月18日金曜日の夜に京都府から6月21日に発出されるまん延防止等重点措置の制限について詳細が発表されました。西脇京都府知事の記者会見と制限内容がまとめられたpdfを府のHPから見て詳細を確認しました。西脇知事は協力金が減額された旨を言いにくそうにもサラッとだけ話しました。補償内容の下限は「1日4万円→3万円」へと1万円の減額と発表されました。私はpdfでも内容を確認しましたが、減額の理由は取り立てて明記されていませんでした。

 「補償4割」という事がこれまでも補償内容の根底に置かれた考え方です。しかし、1日の売り上げが10万円以下の店舗も補償下限は「1日4万円」でした。これだと「実質補償4割以上」になる店舗が多くあり、10万円以上の売上高がある飲食店からは不満の声も上がっていました。当然の感覚です。これまで補償内容の下限を4万円に設定してきた背景などは分かりません。2021年1月14から2月28日までの緊急事態宣言下(延長期間含む)では「1日6万円」の補償額でした。飲食店はコロナ禍で最も制限を受けてきた業種ですが、最も手厚く補償されてきた業種でもあります。この補償は行政からの協力要請に応じて、その要件を満たした飲食店舗が申請して支給されるものです。

 今回のいわゆる「まん防」への移行に伴う補償内容減額は、補償割合の整合性をギリギリに合わせてきた結果だと理解しています。この減額理由を一言でも言い表すことは難しかったかも知れません。ですが、私の印象は「切り捨てられた」と受け止めました。感染防止対策への協力に関わる詳細や確認を「見回り隊」まで編成して確認してきた姿勢や、営業時間と酒類提供自粛の要請に応じたことで「働く気力」を削がれた人間を何人も知っている自分としては、この説明の無い姿勢に震える怒りを覚えてしまいました。

 私のレストランだけ見れば「仕方がない」という諦めと共に出来ることを考えてやり過ごす事もできました。私は補償を充分に受けてきていると考えています。しかし、私がよければいい話でもないという気持ちと、これまで要請を前向きに捉えようと努力してきた自分にも腹が立ってしまい、居ても立っても居られない気持ちになりました。「政府は飲食店を完全に見捨てたのだな」と考えましたし、「もう我慢ならない」という感情で一杯になりました。この事はInstagramへの投稿でも確認できました(ストーリーでしたから内容はもう見られません)。

 飲食店は多くの店が「日銭」に敏感です。その日の売り上げがどう上がったのかを気に掛けています。その「日銭」が削られた気持ちです。不快でした。そして感情的になりました。これまでの色々も含めて、要請に応じることが嫌になりました。緊急事態宣言を解除と言いつつ、飲食店だけに「20時閉店」と変わらずに突き付ける事も納得いきませんでした。京都市は19時以降の酒類提供自粛要請となりました。他の地域では、例えば「埼玉は1名まで」「東京と大阪は1グループ2名まで」などの酒類利用人数制限も加わりました。京都市は「1グループ4名まで」です。私はこの制限を「緊急事態宣言と何ら変わらない」と受け止めもしました。

 私は自分が怒り心頭で感情的になっている事に気付きませんでした。頭の中は「どうすれば通常時間営業へ戻せるか」というシミュレーションで一杯になりました。勢い、翌日の6月19日土曜日に「通常営業再開」と発表します。業者への発注も戻るし、宣言解除後に夜ご飯を楽しみたい人たちの気持ちも報われるし、お酒も気兼ねなく飲んでもらえるし、協力要請に応じずに営業する事が今回は抗議になればいいと考えたし、店にも活気が戻るだろうし、きっと社会も宣言解除を受けて人々が繰り出して通常営業を支持してくれるだろうと想像したし、東京五輪も感染予防対策をしっかりとして開催すると言うのだから私もその対策を徹底すれば同じことだと解釈もしました。

 そして出てくるのは政府への不満ばかりです。まん防へ移行して協力要請に応じない飲食店が増えて感染者が再び増加すれば「飲食店が言う事を聞かなかったからだ」と言うだろと考えました。そして東京五輪開催を開催して感染者が増加しても、「それは飲食店のせいだ」とレッテル張りをするだろうと考えました。東京五輪は開催されれば反対していた気分がすっかりと消えてしまう。多くの人が「難しい開催だったけれども開催してよかった」と言うだろう事は、聖火リレーに群がる人たちを見ても明らかです。飲食店は結局、レッテル張りをされて責任を負わされるだろうと考えました。

 通常営業再開の発表後に、何人かの友人や知人と意見交換をしました。「待ってました」「支持します」という言葉と同業者たちの「どうしようか迷ってます」「今回はどう判断しても全て正解」と悩み抜いた声とが入り混じりました。「社会的な協力をここまでされてきたのに」という声も届きました。私はここで、これまで自分が「要請にすっかりと応じることでのみ抗議は有効」としてきた事を思い出します。その背景にあるのは「こちら側に瑕疵はない」という曇りのなさこそが、政府を突き上げる一手になるという考えでした。この自己矛盾に気付き、ひどく悩みました。

 まさに、今回の補償減額と時短要請時間継続によって協力要請に応じなくなる飲食店は増えると思います。季節も夏至から始まるまん防制限。昼の長さを活かさない手はないと考えるし、夜を待ってお酒を飲みたい人が増えることも確実でしょう。2か月も我慢した反動が人々の気持ちを明るくして、開いているお店を探し始めもすると思います。実際、東京五輪を開催すれば成功する構造と同じように、集まってはいけないと呼びかけても集まる聖火リレーのように、夜に繰り出す人が増える事も営業する飲食店が増える事も疑いようがありません。

 悩みました。その結果、通常営業は見直して行政からの要請に応じる判断をしました。通常営業再開を撤回して協力要請に応じることを発表しました。私が「要請に応じない」と考えたのは「マーケットが戻るから」でも、「人々が繰り出し始める事」でもなく、政府・行政が「減額した背景を説明しなかった」ことへの怒りでした。その怒りに任せて「突き上げる一手」を捨てることの大きさに気付きませんでした。私は「取りこぼしたくない」のではなく、「ほとんど変わらない制限を要請するならば、もっと丁寧な説明が必要だ」と抗議したかったのです。

 要請に応じない事が抗議になると考えもしましたが、この方法は政府の思う壺になってしまう危険もありました。「飲食店のせいで感染拡大した」という論調を完成させてしまい兼ねません。政府は東京五輪開催を強行します。そしてそれは開催されれば受け入れられます。その結果、感染拡大を招いても「それは開催前から要請に応じない人たちがいたからだ」と嘯く(うそぶく)でしょう。専門家会議からの提言を「参考」にしか捉えない感覚を棚に上げて、「感染拡大は飲食店のせい」とするでしょう。

 制限下であっても聖火リレーをすれば人は集まります。制限下であっても普通に営業している店には人が集まります。制限下であっても天気が良くお出かけ日和なら人は外出します。鴨川でお酒も飲むし、公園やコンビニ前でたむろもします。「目的を奪う設定」として「飲食店への制限」は考えられましたが、こうした度重なる制限疲れのほころびは止められません。飲食店も、利用者も、制限に疲れてしまった。制限に応じられない人をたくさん作る結果は政治的に利用されます。感染再拡大を招いた責任転嫁と、「疲れを癒すイベントだった東京五輪」という成果として。この事は与野党ともに、「国民に寄り添う姿勢の旗印」として利用されます。

 私はこれまでも自分の姿勢と行為を決める時に「できること」を中心に考えて自分の選択肢にしています。立ち上がった選択肢からその時の自分に「できること」を選びます。今回の自分にできることは「通常営業へ戻す事」だったのですが、それは同時に「突き上げる一手」を捨てる事だと気付きます。そしてこの一手を捨てさせることが政府の思惑だとこれまでも訴えてきました。私は悩んだ挙句に政府からの要請に応じる判断を再び発表しました。皆さんに混乱をさせてしまいました。本当に申し訳ありませんでした。