「便利になるなら覚えることは減ると思っていたのだが」

2022年8月13日お知らせ

「こうすればよかった。」「ああすればよかった。」そんなことは日常茶飯事なのかもしれない。それでも、大切な写真データを消去してしまう迂闊さは、悔やんでも悔やみきれない。スマホに入っているデータをmicroSDに移して、古いデジカメで再生して印画紙へプリントする作業を試みる過程でそれは起こった。

 インスタントカメラの風合いに印刷されるフィルムが残り30数枚ある。もう機器もフィルムも製造されていない。対応するデジカメも古いもので、RICOH cx2である。この夏に撮影したかの子さんの写真の幾つかをプリントするため、データをデジカメで読み込んだ。すると、SDカードのフォーマットが合わないので、利用するにはフォーマットが必要と表示された。この時にきちんとデータをクラウドへアップデートしてからSDカードをフォーマットしていればデータは残ったのだ。

 なぜかわたくしは、「スマホにデータがあるからフォーマットして、再転送すればいい」と考えた。そう。スマホのデータを「SDカードへコピーした」と勘違いしていたのだ。実際には保存先がSDカードだったので、データはスマホには残っていない。デジカメでフォーマットしたSDカードをスマホに入れた時の絶望感。「データがない。」当たり前だ。さっききちんとフォーマットしちゃったじゃんか。

 この時にまだ冷静に「ファイル復旧ソフトを使って復元しよう!」と思い当たれば復元した可能性はあった。この後がいけない。デジカメでのプリントにこだわったので、クラウドから何枚かの古い写真をSDカードに保存し、再びデジカメで試みた。するとデジカメが「対応していない」と表示。そもそも、方式がもう違っていたのだ。なんてことだ。十数年でもう機器の互換性など全く無くなっているのだ。

 再びスマホにSDカードを戻し、スマホで使えるようにフォーマットを掛けて初期化。これで完全に復旧できなくなってしまった。二度もフォーマットして、間に、古いデジカメを挟んでしまえば到底わたくしの知識では復元できない。料金がかかるソフトで試みるも、復旧しない。料金を支払う手前で復元データを見れるので、確認をしたが復元はできていなかった。古いデジカメで撮影した写真は堂々とプリントできる。

 「i phoneならデータが保存されてるかも」などの優しいメッセージをもらったが、わたくしのスマホはよくできたOPPOなのだ。残念ながらデータは保存されていない。#tony challengeとして撮影してきた料理も、2022年3月から始めたランチの日替わり前菜盛り合わせも、すべて消えてしまった。この休みを使い、フォトブックにして皆さんの手に届けたかった。写真を集めて並べ、ポスターにする計画もあった。すべて消えてしまった。

 料理の写真は再び、営業を再開したらコツコツと撮りためようと思う。その都度、ファイルにまとめてクラウドにバックアップを取ろう。思い立ったらフォトブックにしよう。料理データはInstagramのハイライトでは見れるが、わたくしは手元に物体としての情報が欲しかった。データはデータでしかない。昭和生まれのわたくしは、所有する事に強い価値を持っている。「情報と所有」は、「ネットニュースと自分の経験」くらいの開きが、わたくしにはある。

 経験主義と言っても過言でない。自身の五感を使い、時間を使い、物体を介して、感情の感度を上げて取り込む作業は、コピーできない。かろうじて、写真に残したり動画にしたりしながら、その経験の記憶をたどる道筋を付けることができる。経験は、記録した写真や動画、テキストによって呼び戻すことはできる。だからこそ、手元に物体として持っていたかった。わたくしの記憶力は弱い。手元に物体として所有する事で経験を補いたかった。

 データの扱い方には注意が必要だ。分かっていたのに。ああ。残念でならない。これを学習の機会として、二度とすまい。今回は写真のデータだけで済んだが、これがスマホを紛失していたならもっと重大だった。クラウドに保存しているデータは仕事のものばかりだ(とはいえ、料理の写真は保存できていなかった)。大切なデータはこまめにファイル化してクラウドに整理していこう。便利になればなるほど、その管理と扱いを理解しておかなくてはならない。おかしなもので、便利になるなら覚えることは減ると思っていたのだが。