2023年12月14日に紙屋川は7周年を迎えました。

2023年12月15日お知らせ

2023年12月14日木曜日。イルピアット紙屋川は7周年を迎えました。ありがとうございます。北野白梅町は一条通り紙屋川角にお店を構えて7年が経ちました。この場所でこうして時間を重ねられて幸せです。皆さんのご支援とご支持の賜物と思っています。重ねてありがとうございます。

思うことがあります。どこのお店の方も同じだと思います。料理を作って提供している仕事は、完成した料理と盛り付けたお皿の内容を整えるためにとてもたくさんの工程と工数を重ねます。仕入れに行くこと、メニューを考えること、レシピを整えること、オペレーションを完成させること、コストや原価を見つめること、店内の清潔さを保つこと、段取りよく営業できるように整えること、スタッフのモチベーションを作ること、お客様に快適な室温や空間を演出すること、まだまだ他にもたくさんあります。

話は変わりますが、十数年前に食べログと裁判をする手前まで行った経験があります。結局、双方の弁護士同士で話を着けて終わりました。当時の私のお店は珍しさから、評価を高く頂いていた時期がありました。食べログに「高評価が実質的な営業に干渉するので掲載順位を下げて欲しい」と注文をつけたことが揉めた始まりでした。食べログサイドは「なんで怒るんだ。いい話じゃないのか」と首を捻って不思議がりました。2023年現在、お金を支払ってでも上位に掲載されるようにしたいお店が一般的な世の中です。私はこの一般的な感覚をよく理解できています。理解していますが、なるべく関わりたいと思っていません。

美味しさや快適さの尺度が皆異なるとは言え、料理を作って提供している私にとってはその内容で評価されること自体、構わないと思うものです。お店の印象や雰囲気も評価対象ですから、好きに思ったことを評価くださって構わないと思います。昨日の海外からの旅行者に見るように、食事の利用をしていなくてもお店を評価できる仕組みにもなっています。空席がなく満席で利用できなかった事を低評価としていました。私はそれも構いません。「利用したかったのにできないから低評価」もしくは「英語もできなくてぶっきらぼうに断られたから低評価」でも構いません。その方が感じたままが「評価」として採用される仕組みの世界です。

低評価も反映させた「評価点の大きさ」を人は気にします。どうしたって、お店探す時の指標や目安になります。私だってそうですから。参考までに、目に入ってきます。点数を参考にして利用する人の心理がある限り、お店を構える人たちは評価点から逃れにくいのではないでしょうか。お店をしている人たちの気持ちは評価点にグラグラすることがあるでしょう。確かに、高評価で評価点が高いと利用してもらえるきっかけは増えると思います。そのお店の印象は点数から入り、写真やコメントに裏付けをもらい、店の選択になる。分かりやすく、便利になりました。

また話が変わります。いま、まち子さんにパスタを教えています。「こんなにも多くの事をこなして料理を作るのだけど、食べずに評価もされる世界だよ」と話しました。やっとの思いでまち子さんは「ひと皿」を作ります。ですが、私たちの作業は「ひと皿」だけではないのです。他にも多くの作業があります。同時にこなさなくてはならない事が多くあります。それは先に挙げた通りです。多くの工程や工数を経てやっと作る「ひと皿」ですが、それを食べてもいなくて経験もせずに私たちは評価される存在です。「まち子さん、どう思いますか?」。その評価は常に点数で可視化され、その付けられた点数はお店の印象操作として作用します。

理不尽さや悪意を持って評価を付ける人は一部なのかも知れません。ですが、評価点にまとめられれば一部だろうが全部だろうが一緒です。付けられた評価に色はついていないのです。見分けなど付きません。だからです。私は構わないのです。その人の理不尽さも悪意も、嘘でなければ構いません。お店にまつわる内容でその人が抱いた事なら仕方ないのです。私のお店は、仕事は、評価に晒されるものなのです。食べてなくても、満席で断られた事を低評価にしてくださって構わないのです。誰もがご予約方法を知っている訳ではありません。また、使用言語が通じるとも限りません。私も優しくできるとも限りません。私は最大限の注意を払いますがそれ以上に、着席くださり、ご利用なさっているお客様への料理を作ることが絶対優先されるのです。

まち子さんに言いました。「だからこそ美味しい料理を作らなくてはならないんです」と。私たちは「その一皿」で理解してもらうんです。召し上がりたい方は適切に召し上がっていただけるのです。「il piatto」とは「その一皿」という意味です。評価点は関係ないんです。昔に食べログと揉めた通りです。いま私がInstagram投稿やGoogleマップの評価への返信をしているのは、お店を分かりやすくするためです。認知度と理解を深めてもらうためです。評価してもらうためじゃないんです。私は食事の時間を提供したいだけです。

どうして多くの工程や工数が評価されるためにあるんですか。そんなもの、ありはしないんです。評価が好きな人はそうすればいい。私はまち子さんにパスタを教えています。それは誰かに評価をしてもらうためではありません。美味しい料理をご用意して、お食事の時間を提供するためです。その評価はご自由になさってください。レストランは快適な食事を提供し、楽しむことができる場所です。日常にそれは必要だし、なくてはならないものです。日々の時間の中でレストランを選ぶ豊かさを文化だと思いませんか?私はそう思っています。文化に評価を与える事がユーモアであって欲しいです。

パスタを一生懸命に覚えようとするまち子さんを見ながら、この努力がきちんと報われて欲しいと思います。評価される世界を一緒に笑って欲しいと思います。紙屋川ができて7周年。新しい展開への足音が聞こえます。これからもどうぞよろしくお付き合いください。いつもありがとうございます。