イルピアットというお店は。
きょうのランチ営業中に店外で一台の車が停車した。エンジンをかけたまま少し左に寄った形だが、殆ど道路の真ん中に等しい。すぐに動くと思い様子を数十秒見ていたが移動しない。どうもイルピアットに関心がある様だ。しかし迷惑な停車をして関心を寄せられるのは店にとっても迷惑でしかない。
「車を移動していただけますか。交通の妨げですので。」
私ははっきりそう言った。見ると、助手席から初老の女性が降りてイルピアットのメニューを見ている。運転席にはやはり初老の男性。「何屋さんかと思って見てたの」と女性は私に向けたのか、独り言なのか分からないような言葉をバツ悪そうに絞り出した。私は全く取り合わない。運転席の男性が「ふん、こんな店」という目配せでこちらをチラリ、見た。注意されたことが癇に障った。車はBMWのSUVだった。
先日のランチ。交流のある近くの和食の大将が、やはり近くの和食の大将を紹介がてらに初めて店に連れてきてくれた。4人でビールを3本。ランチも食べてもらった。談笑し、普段通りで挨拶を交わし、お会計をして店を出た。私は片付けをしながら目を上げると、初めて来店したさっきの大将が原付に乗って帰るのを見た。
「ウチの店になんて事してくれるのか。」
怒りがこみ上げる。
近所の交流のある大将には、
「この間来てくれた大将、飲酒運転で帰ったからウチの店の敷居は金輪際またげないと伝えて。」
と話した。
初めて来た店で、紹介で、飲酒運転するという非礼ぶり。あり得ない。「敷居が高い」という言葉はこういう時にこそ使われる。その大将はイルピアットに非礼をした。不義理である。敷居はまたげない。その大将が他で今回のことを話す時に「イルピアットは敷居が高くて」と使う。本来の意味はそうである。本当にどうかしている。
ふう。
イルピアットは常識的な普通の人が集う店です。普通の快適さを保障するためにも、面倒な注意も積極的にお声がけしています。常識と配慮、社会性と理性があれば本来はしなくてもいいはずの注意。イルピアットはきちんとした方がご利用くださっています。本当に感謝しています。
この際なのではっきりと言いますが、どんなに社会で成功していようとも、資産を持っていようとも、金払いが良かろうとも、イルピアットのランチは950円です。金持ちだろうが、偉かろうが、貧乏だろうが、学生だろうが、支払える金額はその辺りでしかないのです。つまりは、同じなのです。イルピアットでどんなに偉ぶってみせてもランチは950円なのです。たかだか950円のランチを食べる時でさえ、自身の地位を反映させられなければならない悲しさに私は寄り添えません。
イルピアットに30万円するカバンが販売されていれば、富裕層は手厚くもてなされるでしょう。ランチがコースで2万円ならば、注意される言葉も変わるでしょう。どんなに偉そうにしても出来ることは同じなのです。夜にしてもそうです。イルピアットで利用できる金額なんて知れています。私は、特に、富裕層らしい人物だからと特別扱いできません。使える金額は同じです。言い換えれば、私が重要視しているお客さまは繰り返しご利用くださっている方です。そこはやはり、手厚くなってしまう。親和性があるからです。
繰り返し来てくださっている方、長くお付き合いくださっている方、この上なく感謝しています。いつも私を理性的でいさせてくださりありがとうございます。私がここに立てるのは、皆さんがその様に期待を下さるからに他ありません。
なので。
きちんとできない人物は誰であろうと嫌いです。
書いてしまった。