発達障害と、家族と、行政と。
豊橋の兄について昨年の12月から豊橋市の行政機関に相談を続けてきました。兄は私の1つ年上です。46歳。子どもの頃から我慢ができず、対人関係をうまく築けない人でした。人はそれを「ワガママ」と見ていましたし、私もそのように見ていました。堪え性がなく、感情的になりやすく、物事を浅はかに捉えては決めつけ、気持ちを抑えられなくて大声を出して威嚇する、そんな人でした。父が亡くなって3年。兄は結局、母に依存する形で暮らしています。母は兄の感情起伏に怯えるような付き合い方を強いられています。私はそれを解消し兄の自立を促すべく、豊橋市に相談をしてきました。
兄の育った環境は兄の「ワガママ」を「父親の甘やかし」として処理してきました。父にそうした原因を見たのは、父自身もパチンコをやめられない性格だったことや計画性のない暮らしぶりだったことによります。振り返ってみれば兄の不安定さは父の「甘やかし」でも、兄の「ワガママ」でもなかったと近年では考えるようになりました。それは恐らく発達障害の1つではないか。まだ確定はしていませんし、疑念や憶測でしかありませんが、兄は発達障害の自閉症なのだと思うのです。詳しい用語は分かりませんが、兄の行動は全て自閉症に見られる内容ばかりなのです。2000年代に入ってからは特に、発達障害についての理解も進みました。私も情報に触れる機会があり、そう考えるに至りました。
そんな兄はこれまで不遇の人生です。兄に自閉症の認識と診断があれば、本人も、周囲も、家族も、社会も、それを軸にしてきちんと兄に向き合えたはずです。「単なるワガママ」というレッテル貼りもされなければ、兄が他者への共感を持てないことに一人で悩むことも少なくできたでしょう。学習意欲も低く、学習成績も奮わなかった辛さも説明できました。お金の使い方も単純であったため、消費者金融で借金を繰り返して破産をしたこともあります。清潔感への意識も低いままで、服装などのこだわりもありません。そんな兄は社会でも孤立して来ました。友人もいません。恋愛もした経験がありません。多くの人がそこかしこで見聞きするような「日常の豊かさ」を上手く獲得できていません。
家族も「単なるワガママ」というレッテルをして来たため、兄の至らなさを断罪する機会が多くありました。その結果、兄との関係も良好ではなくなってしまいました。それは自明なことです。自分のやる気はすぐに潰えてしまう。しかし兄自身も理由はわからない。理由は説明できないが、長続きさせる事ができない。家族からは「またか」となじられる。「堪え性のないのは甘やかされたからだ」と単純に解釈されてきました。この繰り返しです。それでも奮い立って前を向くような姿勢の時には、父も母も兄を応援をしました。そしてそれは決まって挫けてきました。もう何度となく兄は諦めてきたし、その都度、家族も期待を裏切られました。私は19歳の頃には一人暮らしを始めていましたから兄と距離をとって来れましたが、兄をなじってきた歴史は否定しようがありません。
私はまず、兄の生活を立て直す必要があると考え、豊橋市の生活保護課へ相談しました。これまでの事情を説明し、今の現状を説明し、支援を要請する為の方法を尋ねました。兄に自立が無理と考えているのではなく、生活に足らない分を補ってもらいたい旨とそのために必要な行動。保護課の担当者からは「原則、本人からの要請でなければならない」と説明がありました。「お兄さんを保護課へ連れてきてもらえますか?」という問い。それが一番難しい。良好な関係なら話して説得もできるだろうが、兄は私からの連絡を受け付けない。母に相談して、母から保護課へ相談を入れてもらい何とか面接という運びに漕ぎ着けました。保護課へ赴いてもらう段取りだけで1ヶ月以上を要しました。
保護課では「医療機関の診断によって就労可能な範囲の把握が必要です」と説明を受けます。兄は数年前からバセドー病です。週に3日ほど働くと疲労で身体が動かなくなります。その現状を保護課へ説明しても「怠惰によるものか病気によるものか、客観性が必要」という立場です。全く同感です。私は行政判断が感情や感覚で行われることが無いように願っています。しかしながら、今現在の生活に困窮している状況をどうすればいいのか。火急な要請はどうすれば了承されるのか。「ご本人による必要な要請が原則です」と言います。本人に代わって支給金を受け取られないようにするには仕方のない事だが、本人が説明できない場合はどうするのか。「ご本人が面接に来てください」と言う。埒があかない。面接に向かわせるだけで1ヶ月以上も要する人物である。私は根気強く説明し理解を求めましたが「ご本人が原則」という以外の解答は得られませんでした。
生活保護課への働き掛けをしつつ、兄の発達障害を診断してもらうにはどうすればいいかも豊橋市に相談をしました。保健センターの健康推進課が窓口です。保護課同様、これまでの経緯と経略を説明しました。保護課への相談も併せて報告しました。電話で対応してくれた職員は非常に良い対応でしたから、私の家族にまつわる事情をよくよく理解いただけたのだと思いました。「一度、様子を伺いに行きます」と言ってくれたので、私は母に引き継ぎの連絡をしました。兄と母と職員の3人で面談をする日程も決めてもらいました。私は兄の様子を一目すれば私の話した事がほぼ理解されると考えていましたから、訪問面談が実現すれば一気に進展すると安堵しました。
ですが、事態は全く違いました。電話を受けた職員が面談をしたのではなく、別の職員が担当になって面談をしました。私が耳にした報告で面談した担当職員が「お兄さんはしっかりされているので、発達障害の診断は必要ないと思います」と言いました。加えて、「発達障害であったからと生活保護を受給できる事にはなりません」と言います。私は一言も「兄は発達障害だろうから生活保護を受けられるだろう」なんて相談をしていません。生活保護と発達障害は別に考えていて、生活保護課に相談しているのはバセドー病による影響からの生活支援です。健康推進課に相談したのは、行政への働きかけが「ご本人が原則」と言われてしまうのでその背景説明のためにもバックアップしてくださいという旨でした。
面談をした担当は「上手く申し送りが出来ていなかったようですみません」とあっけらかんと言います。制度を悪用する人間は多くいるのかもしれないが、相談者を見る眼差しが「またかよ」といった類の空気を帯びている言葉をその担当は悪びれずに使います。私は担当に兄の発達障害の疑いを私が抱いている背景説明を丁寧にしました。これまでの経緯も含めて、丁寧に説明しました。
「例えば、兄は右腕が折れているとします。本人は折れている事に気付いていません。周囲も折れている事に気付きません。腕が折れていない前提で仕事も暮らしもするのだけど、どうにも上手く腕が使えない。周囲はそれをなじり、叱る。レッテル貼りもする。兄はどうしてなのか分からないまま挫けてしまう。右腕が折れている事を知らないからです。そんな事の繰り返しなんです。彼が発達障害でないならないで、それを彼の性格として受け入れます。ですが、もし発達障害であるならばこんな残酷なことはあってはならないでしょう。」
私は兄への思いも併せて話しました。担当は驚く一言を言います。
「調べて、発達障害と分かったとして何が変わるんですか?」
私は一瞬、この職員は何を言っているのだろうと閉口しました。耳を疑いました。どうしたらそういう応答ができるのだろう。なぜ担当課の職員の意識がそういう次元なのだろうか。一般的には諦めてしまい兼ねないようなやり取りですが私は諦めるわけには行きません。繰り返しより丁寧に分かるように説明しました。「弟さんの気持ちは分かりますが、行政が発達障害の診断を無理矢理に受けさせる事はできないんです」と言います。私は無理矢理なんて言っていません。どうすれば兄が受診してくれるのか、という相談が入り口なのに無理矢理になんていう発想がそもそもありません。担当は「お兄さんを病院まで無理矢理連れて行くような事はできないんです」とまくし立てます。話にならない。どうしようか。
私は困りました。母や私が診断を促せば「気狂い扱いするな」と怒鳴り、閉じてしまいます。生前の父に兄の発達障害受診を話した事がありました。そして父は「受診したが発達障害ではなかった」と私に話していました。私は兄の発達障害をずっと疑っていましたが診断が出ているならと考えてきたものです。ですが2ヶ月前に母が「あれは嘘だ。病院の前まで行って怖くなって帰ってきた」と言いました。保護課への相談の後です。事態が動かないという母との会話の中で聴きました。ですから私は健康推進課へ相談をしたのです。この事も担当には話しているのです。担当は「お母さんや弟さんが心配されているから受診してみましょうと言いましょうか」とぶっきらぼうに言います。「行政が診断を要請しているとは言えないんです」の繰り返し。何の為の相談窓口なのだろう。
私は再度、事情を説明して私や母が直接兄に話しても無理な事や、そうする事で兄が母とも私とも全くアクセスを絶ってしまうことを説明しました。担当は「それでも行政が促す事はできないんです」と言います。乳がん検診やタバコの受動喫煙についてのルールを決めて促しているのに?分かりやすい病気や現象は啓発したり検診を促しているのに?私は「安心するためにも一度、受診して見ましょう、くらいの事を言って貰えませんか?」と尋ねました。「弟さんが言っている、という前提でしたら言います」と担当。家族が働き掛けをできないから相談をしている事を再三伝えても「こちらとしては緊急に必要があると思いませんし、暴れたりしてるのでもないし、必要ないと判断しています」と言う。暴れるまで待つのか。「診察を無理矢理に受けさせろ」と言っていないのにどうにも伝わらない。担当は一度そうだと思い込むと更新できない性格者のようだ。「ご本人の意思」がなくてはならない。そのご本人が自身では「調べてみよう」という思いに辿り着いてこなかった。一度、病院の前まで行って帰ってきた経験からも明らかだ。家族の働き掛けが嫌だと言うので行政に相談したと言うのに。
時を同じくして、保護課へ提出する為の健康状態診断が出た。バセドー病、糖尿病、緑内障ともに大きな影響を認められないので、就労時間を増やしても大丈夫と言う。保護課や推進課への働き掛けが「自分を支援してくれている」と感じたからか、兄は私ともコンタクトを取った。
3月11日。「こんにちは。体調が良くなり仕事を増やすことにしました。心配かけたな、すぐには見つからないかもしれないけど必ず見つけて頑張るから。色々ありがとうな」(原文まま)
という、ショートメッセージが送られてきた。これを受けても私は疑心暗鬼である。過去の経験からこの就職活動こそが難関なのだ。保護課の担当に連絡をした。「お兄さんの就労が可能と言うことであれば、こちらでもきちんとお仕事の紹介などできますから是非ともお兄さんに相談へ来るようにお伝えください」との回答があった。兄にはそれを伝えている。しかし自分では行かない。いや、行けないのだ。健康推進課の担当にも連絡した。「もし就活がうまく行かなかったり、挫けたりしたらその時にはこちらからも発達障害の診断を勧めます」と確約をもらった。
それから2週間。母へ様子を伺う連絡を入れると「もうあいつはダメだ」と言う。話を聴くと、「あいつは全然、やる気がない。面接も受けているかどうかも分からない。私はもう嫌だ」という。就活する気分を装っては母から無心する。そのやり取りが母を疲弊させていた。「毎回同じ事だ。これまでと同じだ」と母は残念そうに言う。私は推進課の担当へ今回の兄とのやり取りを説明するよう母に伝えた。私からも担当へ連絡を入れた。母からも私からも連絡を受けて担当は「お兄さんへ連絡します」と言ってくれた。担当からの連絡翌日に、兄は自分の足で保健センターへ行ったそうだ。「もう今後、母には会わないし連絡もしない。弟も同様だ。これ以上、迷惑をかけたくはない。診察を受ける事は構わないが、それにはもう少し時間が欲しい」と話したそうだ。診察のお金もないと言う。診察にかかる費用なら私が負担してもいい。母は担当に「私はもうこれ以上の面倒は見れないし、付き合えない」と宣言した。「迷惑を掛けたくない」「もう一度頑張る」というやり取りを何度も繰り返してきた母の気持ちは「またか」と沈んでしまった。
担当は「私は諦めません」と言ったそうだが、この年度末で担当は変わるのだ。4月から新しい担当になる。「きちんと引き継ぎますから」と担当は言うが、始まりの電話がきちんと引き継げなかった事を思うと胃が痛い。「諦めません」と言ったものの、その発言をした担当は居なくなるのだ。しかし私はその言葉を信じるしかない。なぜなら、私も母も兄にはアクセスできなくなってしまった。始まりは、兄の生活支援を要請したかっただけなのだ。それが滞る背景には、ひょっとしたら発達障害があるかもしれないと言う事で健康推進課へ相談したのだ。結果、生活支援はされていないし私たちもアクセスできなくなってしまった。再就職もうまく運んでいない。しかし兄は自分で保健センターへ行った。担当に「迷惑を掛けたくない」と話した事で、母への無心も当分は無くなるはずだ。ほんの少しだが、前に進んだ。本当にほんの少しだ。しかし私は非常に疲れてしまった。