明日、2月2日は京都市長選挙ですよー!!!
明日、2月2日の日曜日は京都市長選挙です。この選挙は国政選挙とは異なり、自治体の首長(トップ)を直接選挙で決めることができるものです。国政選挙は選挙区や比例区から国会議員を選挙で選び国の法律を作る人物を選出します。内閣総理大臣はその国会議員によって選出されて議会選挙によって決まります。しかし市長選挙は内閣総理大臣選挙とは異なり、直接選挙で自分たちのトップを選べるという選挙なのです。これこそ、民主主義、地方自治体の醍醐味とも言うべき選挙です。
国政選挙は国政議会に出る国会議員になるべき人物を選びます。「人物を選ぶ」という点では「選挙」なのですが、国政選挙は政党選挙になります。どの政党勢力が大きな力を持つのかが争点です。つまり、人物を選びつつ実は、「政党を選ぶ選挙」なのです。議会で数を多く占めることで自分の所属する政党の考えで法律を作るのです。「与党」とは議会で過半数を占める政党グループを指します。つまり、その政党が政治を担うという事です。ですから、国会の場合は与党の党首が内閣総理大臣に任命されます。内閣総理大臣は私たちが直接選ぶことができない仕組みになっています。
明日の市長選挙が国政選挙(国会議員を選ぶ選挙)と異なる大きな点は、繰り返しになりますが、自治体トップの人物を直接選ぶという点につきます。私たちの京都市の首長を直接選べます。内閣総理大臣のように議会に任せない。これは地方自治がその地域に暮らす人々に委ねられている証明ですし、権利なのです。自分たちのトップを自分たちで決められる。民主主義の醍醐味と言っていい選挙なのです。
国政選挙(国会議員を選ぶ選挙) → 政党選挙(政党の勢力を決める選挙)
市長選挙(市のトップを決める選挙) → 直接選挙(相応しい人物を選ぶ選挙)
今回の京都市長選挙では現職の門川氏、新人の村山氏、福山氏の三名が立候補をしています。門川氏は12年間の京都市政を運営した実績を強調していますが、この先の4年間を担う政策内容などは殆ど聞こえてきません。北陸新幹線延線、地下鉄延線、文化庁移転などを掲げていますがどれも既に決定している内容ばかりです。後は利権バランスの工期だけが課題であり政策とは言えません。さらに残念なことに、門川氏だけがこの直接選挙を政党選挙のごとく捉えて選挙戦を繰り広げてきました。市長選挙は政党選挙ではありません。1月26日日曜日の京都新聞広告に「共産党の市長は「NO」」という広告を掲載してしまいました。この広告は、推薦人の商工会議所トップ以外、他の推薦人には掲載了承を得ずに無断掲載するという問題広告でした。
直接選挙を政党選挙のように扱い特定政党を排除する選挙運動など、私には経験がありません。それを現職の市長がするという嘆かわしさ。現職ならもっと堂々と胸を貸すくらいの姿勢で選挙戦を展開すべきでした。門川氏は与野党相乗り推薦で無所属の候補者。今回の門川陣営が取った選挙戦法から見ても、彼は国政の傀儡(人形)のように映ります。京都市が国政に隷従する自治体のように扱われかねない状況を容認するような姿勢にも腹立たしさを覚えます。
立憲民主党幹事長の福山氏は新聞広告を「違和感」と発言しました。ですが彼は、「実績を買っている」と支持継続も表明しました。とても残念です。人物を選出する市長選挙で、その人物に違和感を覚えながらも支持を表明したことは立憲民主党の意思のようにも映り失望しました。国政選挙の際、政党としての立憲民主党にも影響を及ぼすものと私は考えます。「少なくとも、福山幹事長の表明は京都市を思っての発言ではない」と立憲にも福山氏にも私は指摘と抗議をしました。政治家たちは何か勘違いをしています。有権者が何を見ているのかに関心を寄せていません。だから、門川氏も福山幹事長も直接選挙を政党選挙のように扱おうとする。私たちは明日、京都市長を直接自分たちの一票で決めるのです。政党を選ぶわけじゃない。
村山氏は地域政党京都党の党首です。議会で活動をしてきました。私は支持者ではないので詳しくはわかりません。今回の選挙では、京都市立芸術大学の移転に反対しています。移転予定地に企業用のビルを誘致する政策を訴えています。私は移転に反対ではありませんから、村山氏に投票することはありません。
福山氏はれいわ新選組党と共産党からの推薦を受けています。福山氏は無所属です。門川氏は実名さえ挙げませんでしたが、「共産党の市長はNO」と門川陣営の講演でもシュプレヒコールを上げていましたが、福山氏は無所属です。そして今回の選挙戦では最も市民寄りの候補者です。門川市政12年を丁寧に考察し、虚偽報告のような待機児童ゼロ宣言などを断罪しています。私は個人的に、福山氏が今回の市長選挙に立候補してくれたことを歓迎しています。彼の登場はまさに、12年間の京都市政を更新し前進させる可能性を内包しています。
福山氏の熱弁は市民の要望をしっかりと受け止めたことによる熱量です。彼には市民からの嘆きや訴えが届けられています。福山氏はそうした声に耳を傾けてきました。小さな声を集めてきた結果、「自分が立とう」と決断しました。私は個人的に福山氏と親交はありません。ですが、門川氏と村山氏にはない信頼を彼には覚えます。私は京都市が変わるところを見たい。門川市政12年ですっかりと消耗品のようにされてしまった京都市を、しっかりとしたメーカーに戻したい。
門川市政は対外的にキャッチーな政策をポーズだけで運営してきました。景観条例、京都・時代祭り館十二十二(トニトニ)の失敗、日本酒でカンパイ条例、これら全て、京都市民にはまったく恩恵がなかった。これらの政策は京都の伝統を履き違えて理解している事がよく出ています。ホテルの乱立、後手に回った民泊問題、観光公害と名づけられた慢性的な公共空間の不便さ、それらを誘致しておきながら対策は市民任せでした。最もひどいのは景観条例の運用内容だと私は考えています。
この12年間を実績と叫ぶ現職は、自身の栄光を際立たせるために直接選挙を政党選挙化しようとしました。ひとえにこれは、自身に市長の資質が損なわれてきたと表明したに等しいことだと私は考えています。あんな広告を打たなければ、まだ静観したのに。私は国政も地方自治も、権力の乱用が際立ってきた昨今と思っています。京都が大阪のようになってはいけない。京都の気位は権力に立ち向かう気風と気高さ、美意識にこそ見られます。文化を知っている都市として。知性を司る都市として。何よりも、歴史に裏打ちされた気概と反権力思想を育んだ町衆の美学の都市として。
京都市長選挙は政党選挙ではありません。私たちの一票が相応しい人物を選べる選挙なのです。「どうせ門川だろう」と諦め気分の皆さんにはきちんと伝えておきますが、選挙は諦めるための機会ではありません。選挙は諦めない為の機会です。諦めない気持ちを表明する場です。どの候補者が当選しても、今回の選挙戦で明らかになったこの「京都市政12年間」は次の4年の市政に活かされるものと信じています。ですから、どうぞ、選挙に行きましょう。皆さんの、我々の、ひとりひとりの一票が市長を選べる機会です。直接選挙で変化を実感しましょう。政治は遠くにあるのではなく、まさに、私たちの暮らしにこそあるのです。
明日は京都市長選挙です。是非とも、投票に行ってください。私は久しぶりに熱い選挙になったなと、個人的には嬉しく思っています。