食べログの掲載削除について、ファイナル!

2013年8月5日ミズタニ行進曲

以前に私が「食べログに掲載削除をさせるためには集団訴訟が良い」という旨を投稿しましたので、賛同くださる方から「集団訴訟に賛成です」というお声を幾つも頂いています。誤解を恐れず、私の見解をお知らせしようと思います。

まず食べログの掲載削除は普通に食べログ(価格コム)へ申し立てても通りません。詳しくは以前の記事をご参考くださればいいと思いますが、個人で食べログサイドへの申し立ては門前払いです。弁護士を通じての話し合いを持ちかけても、食べログサイドは係争したく無いので色々な妥協案を提示してきます。

言い換えると、法廷で争って判決を聞くなどという所には持って行きたくありません。その割にはこちらの声を蔑ろにし続けます。

なぜか。

食べログサイドは「どうせ個人(単体)だし諦める」とタカを括っているからです。

法廷に持ち込まれれば判決が出ます。それが食べログサイドの勝訴であっても、何かしらの意見は必ず付けられます。原告は不服として控訴して結果、最高裁にでももつれれば食べログサイドへの社会的風当たりも強くなりますし、メディアも面白がって取り上げることになるでしょう。

日本の大衆性質には判官贔屓があります。原告側の深刻な訴えが多く紹介されれば、サイト自体への信頼度にも傷が付きます。「確かに、何で削除できないんだ」というムードを一番避けたい。只でさえ、サイトには色々な噂話が増える一方なので、法廷で争うなんて遠ざけたいのです。

裁判には100%はありません。どんな場合であろうとも、ありません。法律には私たちの知らない解釈があります。感情では捉えきれない法律の持つ解釈は時として大きな武器になり、時として大きなダメージにもなります。これはどんな場合においてもそうなのです。

食べログサイドはこの点に関して、100%近い確率で勝てない争いはしたくありません。なぜなら、万が一にでも敗訴になればサイトそのものの価値は瓦解して存在価値を喪失します。言わば、92%で勝てても8%負けるならしたくないのです。逆に言えば、それくらいのものです。

前置きが長くなりましたが、最高裁まで係争がもつれ込んだ場合に掛かる裁判費用は300万円くらいです。もちろん内容と規模にもよりますが、それくらいはかかるそうです。これを個人で挑むには声も小さく、影響も小さいので私は「やるなら集団訴訟がいい」と表現しました。

そして一口1万円で賛同者を募れば、ひょっとすれば最高裁までの費用を工面できるのではないかと考えました。個人で申し立てても始まりませんが、集団訴訟にでもなればメディアも取り上げます。メディアに取り上げれればさらなる賛同者を募れます。裁判資金は調達できるのではないでしょうか。

という、一つの考え方を示しました。

提案と言っても構わないかもしれません。

ですが。

私が率先して旗振り役になるとまでは言っていないのです。私は幾つか寄せられる「どうしたら食べログの削除が叶うのか」という声に対するレスポンスとして提案をしたのですね。「私と一緒に戦いましょう」という文脈ではないのです。飽くまでも、方法の一つを提案させて頂いたに過ぎません。

私は個人的に食べログサイドとかなりの応酬をしたと思っています。弁護士も立てて、方的な論争へ持ち込みもしました。そのやり取りを公表してきた事もあり、全国から私に削除方法をどうしたらいいのかというご質問が寄せられることも増えました。ですが、私が旗振り役で(削除希望の)皆さんをまとめるなんて考えてもいません。

実際、どうしたらまとめられるのか分かりませんし、仕組みもきちんと作らねばなりません。原告が全国各地に点在していて、実は大きな部分では「掲載削除」であったとしても、一枚岩になるとは限りません。それこそ、色々な意見が出てくるでしょう。私はそれらをまとめて例えば「食べログ掲載削除を成し遂げるための連絡会議」とか、開く方法を知りません。

ここがポイントなのです。

集団訴訟が食べログサイドへの大きな痛手になることは明らかですが、どのように連帯すればいいのかのノウハウを私は持っていません。しかもそれは恐らく、私だけではなくて多くの掲載削除を希望している方たちに共通しているはずです。

食べログサイドはその事も理解しています。

食べログサイドは「どうせ連帯なんてできないだろう」「集団訴訟の方法を知らないだろう」と完全に決め込んでいます。

残念ながら、今の私はその通りです。

誰かそうした方法を熟知して見えて、熱い弁護士さんも味方につけて、メディアも巻き込んで、食べログのネガティブキャンペーンを実行するぜ!というのなら、私はとりあえず話を聞いてみたいと思います。

参加するかは話を伺ってからになります。

参加しないのかと?

お金を出すんです。そして自分の意思を多くの方と共有するんです。

原告団の旗振り役の方がどういう方なのかを知らずに参加など出来ません。特定の組織と関係を強く持っていないか、ある団体と密接な繋がりがないか、思想に偏りがないか、きちんと運営されるのかなど考えなくてはならない事が山のようにあります。私はどんな場合でも、そうした背景を考えてからでなければ参加は難しいです。

と言っている私を、旗振り役にしてしまっていいんですか?私は「集団訴訟に賛同します」と言ってくださる方の何も知りません。私は実名ですし、店舗も分かるようにしていますが、私は皆さんを全く知り得ないのです。このギャップも今のままでは埋められません。

これは他のどんな場合においても慎重にあるべきです、と言っています。今はSNSなどのコミュニケーションツールが発達したので、幾らかの人と連帯することは容易くなったと思われがちです。ですが、繋がれるということはプラスばかりではありません。匿名性の高い世界であることには変わりまりません。

少しだけ本論とは離れますが、「匿名性」とは「特定できない」というクローズアップのされ方がされていますがこれはもう、違います。きちんとした意味で、匿名性にはその個々人のパーソナリティーが含まれます。所属だけでは足らないのです。その人物がどういう人物であるかを知らない場合は、名前と職業を知っていても匿名性のレベルは変わりません。

その意味では、「FBは実名だから安心できる」というのは単なるキャッチコピーであることは間違いないのです。実名だから安心できるなどと言うのは、危険地域に丸腰で力も持たずに魔法能力が自分にはあることを信じて入り込むようなものです。

いいですか。

魔法の能力はないんです。

本論に戻りますが、今の社会は不満が多岐に渡りジャンルも様々で、きっかけも統一されておらず、不安定ながらも何となく安定している部分を見つけては安堵しながらやっているに過ぎません。

何を信じますか?私を信じられますか?会った事もないのに?私が如何にややこしいかも知らずに?私が全く食べログを見ていないのに?

誤解を恐れずに言います。

もう、食べログを見るのは辞めませんか。私はそもそも見ていないのです。利用者のコメントなんて読みませんよ。私が食べログに削除希望をしたのは、「食べログを見た」という問い合わせの人間の多くが面倒臭い人間ばかりだったからです。

当時のイルピアットは「京都 イタリアン」と検索すると2位でした。これがそもそも面倒臭かった。「問い合わせの人間が面倒臭い人間ばかりだから困る。削除するか、下位に落として欲しい」と申し立てましたが叶いません。ですから弁護士を通じて申し立てをしました。

食べログサイドは否定しますが、その結果、一気に40位くらいにしてもらいました。今はどれくらいか知りません。「食べログを見た」という問い合わせの連絡は皆無になったので良かったと思っています。同時に、サイトの表示も改めるとまで食べログサイドが提案してくれたので鉾を収めました。充分な成果だったと思っています。

私はそもそも食べログを気にしていません。見ないのですから気にならないのです。食べログに何かしら掲載されたから売り上げが減ったなどの因果関係は分かりません。もしそうだったとしても、食べログを見ていないお客さまや、そうしたことを気にされない方も多く見えます。そうした良識のある、理性的できちんとした方をお客さまとして丁寧に迎えられれば、私は本望です。

飲食店舗の皆さん。

食べログを見るという事が、食べログを支持してしまっているんです。そして、食べログを信仰し、信じている方はもう、お客さまとしての資質にかけると見放しましょう。私たちが歩み寄る必要こそないのです。私たちは技術とサービスに自信を持ちましょう。その上で、今の時代に合致していない商品やマニュアルがあるなら戦略を練りましょう。

私は思います。

身につけてきた技術と経験に嘘はないんです。

私たち飲食店は、そうした自分たちの技術と経験とアイデアを表現する者であるはずです。

集団訴訟に掛ける時間を、今一度、運営方法の改善と技術の進歩と、アイデアを生み出す勉強とに費やしませんか?

ご利用されるお客さまは必ず、ご理解されるはずです。

こんな私ですが、ひつだけ私の言葉を信じてください。

<特大><下線>努力は自分を裏切りません。

あまりなことは言えませんが、飲食店同士、切磋琢磨して行きましょう。

もう、食べログを見るのは辞めませんか。

私は食べログを見るよりも、ご利用されるお客さまをしっかりと見つめていたいと思います。

今に私が言えるのはこんなところです。

力になれず、すみません。